Sissy

 Sissy 7th Anniversary Special Talk

原理史インタビュー
悔しいって思いを常に思うようになったのはここからなんですけど

ー1stアルバムについてお聞かせください

原理史1

ー1stアルバムについてお聞かせください

 1stアルバムは当時の自分たちにとっては結果として凄い自信のあったものになったんです。
最初プロデューサーの方が入って、もっとこうしたほうがいいと言われて凄い違和感があったんです。自分たちが1年とかずっとやってきたものだったんで手が加わることに対して反抗的だったんですよね。

そこででも「自分たちが正しいと思うことが全てじゃないから一度受け入れて演奏してほしいな」ということを言われてやって見た時に、誰かが手伝ってやってくれることって凄く助かるってことなんだなって知ったんですよ。

そういうタイミングから色んなことを吸収しながら活動ができていったと思います。

ーデビュー後初のワンマンについてはいかがでしたか

 デビューして沢山の人に関わってもらって、多くに人に広まっていっている手応えがあったのでプレジャープレジャー(現マウントレーニアホール)ならすぐに埋まるんじゃないかと思っていたんです。
ただ実際には満員にはなったんですけど、ギリギリになってというところがあったので思ったより自分たちの音楽が世の中に浸透しているスピードっていうのが遅いし、とても難しいことなんだなって感じてました。

とりあえず満員になったし、楽しかったし、よかったなってその時は思ったんですけど、後々家に帰って冷静になって考えてみるともっと自分たちのできることがあったんじゃないかな、任せるだけでいいのかなって思いました。
当時は分からなかったので。デビューシングルが決まって、いわれるがままに進めていた所もあったので。
だからこれでいいのかなって思ってた部分もありました。

ーそんな中で2ndアルバムを制作していくことになると思うのですが

原理史2

ーそんな中で2ndアルバムを制作していくことになると思うのですが

 実は1stアルバムのタイミングで、作りたい音楽というよりもいわゆる売れるであろう音楽を作っていたんですよね。

言い方が悪いかもしれないですけど、こういう風にしたらもっと多くの人がいいと言ってくれるんじゃないか、結果として大雑把にいうなら売れるんじゃないかっていうものを作ろうとしていたんですよね。事務所の人に相談しても僕のやりたいことができないこともあったりとかして色々なことを知ったんですよね。自分たち以外の人が関わるということがどういうことか。

だからこそ2ndアルバムは仮に僕のやりたいことができなかったとしてもそれでも更に広がっていくような音楽をつくらなきゃいけないなって思ったんですよね。売りたいじゃなくて、やりたいものをエッセンスとして入れることを自分の中で上手く折り合いをつけながら作っていったのが2ndアルバムでした。

ーそんな中で赤坂ブリッツでのワンマンライブに向かっていくことになると思うのですが

 僕が思っていた以上に厳しかったです。1stアルバムの時は自分たちが音楽活動をしている時以外でも進んでいってる感じがあったんですけど2ndアルバムの段階では、自分が意識をもって調べない限り、自分たちのバンドの名前を聞くこともなければ自分たちの音楽を聞くこともないんですよね。じゃあ自分たちで動かなきゃなってすごい思い始めて凄く考えたんですよね。誰かに任せっきりではダメじゃないかと。やってもらえてることに関してはありがたいことだとひとつ受け止めて、それよりは自分たちで動いていかないといけないと思ったんですよね。だから路上ライブとかもその時にやり始めたんですよね。

企画としてメッセージを集めて1000枚集まったら赤坂ブリッツ埋まるんじゃないか、じゃ1000枚集めようよっていうことをやったりだとか。それは完全にメンバーがやりたいといってスタッフにお願いしてやらせてもらったことなんですよね。
そういうこととかを考えるようになったのがそのタイミングかもしれないですね。

12/15より続き公開中!!

ー1回目の渋谷公会堂ライブはいかがでしたか

原理史3

ー1回目の渋谷公会堂ライブはいかがでしたか

 ここに関しては僕は自分の想像以上の結果がでたと思ってるんですよね。今までで最高に呼べて500人とか500弱だったと思うんですよね。でも実際に1500人以上の人が入った、3倍になった。もちろん毎回満員を目指してますけど、これはなかなかないことだと思っていて。

もちろんそれとはまた別に悔しい気持ちもありましたけど、冬場の寒い中、毎日路上ライブもやって一人一人にチケットを渡していった結果として、ステージに立ってあの景色が見れて。

最初にライブを決めた時に1500人の景色を見れると思ってなかったので、そういう意味では凄いやってよかったなって思ったライブでしたね。凄い楽しかったし。今までSissyをやってきた中で1番よかったライブなのかなぁって実は僕は思っていて、じゃあこれを次に繋げていかないとなぁって思ったんですよね。

ー2回目の渋谷公会堂ライブまでの1年はどうでしたか?

 そこまでの1年は修行でしたね。僕らは渋谷公会堂の1回目を終えた時にすぐにCDを出したかったんですね。そこに関しては戦えなかった部分ではあるんですけど。その渋谷公会堂に来てくれた人にすぐにでも渡したかったんですよね。「ユメノヒトツ」っていう曲ができて、CDにして渡したいなって思っていたんですけど、何かそういう話し合いもする間もなく日々が過ぎていって、次にはもうアルバムを作ろうかって話を頂いちゃったんですよね、事務所の方から。じゃあアルバムを作らなきゃね、どういうのを作ろうって。だから飛んじゃったんですよね。意識から。で、曲を作るんですけど提出する曲がOKでなくて、でも曲を作らなきゃいけないな、でもOKがでないんじゃないか?みたいな葛藤の日々でした。実は。

でも4月から10月くらいまで曲作り悩んで、まともに仕上がった曲が1曲がもなかった時に口笛太郎さんと出逢って「君たちなんでそんな曲作り悩んでんの?もっと自分たちのやりたいことやったらええやん」って言われて。「あぁ、そりゃそうっすよね」って。

でも実はそうできるように力を貸して下さってたんですよね。「この曲やらせたいんで、ぜひつくりましょう」って言ってくれて、実はそういう間に入る役目を凄いやってくれて、なので3枚のアルバムの中では自分たちのやりたいことを詰め込めたのは廻ルシティなんですよね。だからこそ関東近郊以外の地方の人にも音を届けながら路上ライブとかやりたいなぁって始めたのが東海道五十三次(廻ルシティのジャケットに因み、東海道五十三次、全ての宿場で路上ライブをやるという前代未聞の企画。

尚、その場で物々交換をしないと次へ行けないというルールを自分たちに課してやっていた)なんですよ。ただCDを出すだけだと広がらないなぁって思ってはいて、自分たちで広げる為には自分たちで色んな場所にCDを届けにいこうよって話してやっていたんですよ。ある意味新しい曲を持って新しい人に届けに行くのって、新しい音楽が通用するのかを試せる機会だと思ったんですよね。だから凄い辛かったですけど良い経験になりましたね。自分たちの凄い力になったと思います。

恐らく1回目の渋谷公会堂ライブで1000人入らなかったら解散してたと思うんですよね。そして2回目の渋谷公会堂のライブですけど結果は1000人を割るんですけど、逆に1000人とか入ってたら解散してたと思うんですよね。逆に。なんかそこで俺は満足してたと思うんで。僕は抜けてたと思うんですよね。1000人いかなかったことが、この悔しさが自分が続けられてる理由だとも思うし。今まで悔しい思いをだいぶしたと思うんですよね。だから満足していきたいという気持ちがあるんですよね。これから達成していきたいなと思っています。何か成し遂げていきたい。

悔しさがSissyの原動力となって進んでいく理由の中で、
グローブ座でのライブはどのようになりますか?

原理史4

悔しさがSissyの原動力となって進んでいく理由の中で、グローブ座でのライブはどのようになりますか?

 実は1stアルバムのタイミングで、作りたい音楽というよりもいわゆる売れるであろう音楽を作っていたんですよね。

最初、自分たちだけで作っていこうってことで始めたんで、この日にライブを決めて、そこまでの間にやることのスケジュールを決めてそこにむけてこういう風に進めて行こうって。それは最初のワンマン振りなんですよね。だから初めてのワンマンライブみたいな感覚なんですよね。その感覚に近いのかなって。Sissyなんですけど12/23東京グローブ座でやるバンドは2015年4月渋谷公会堂ライブの時までのSissyじゃないんですよ。

満員とか結果云々とかよりは、新しくなった僕らが何ができるのかなっていうことなので。もしかしたら何もできないって思うかもしれないし。だからこそ出来るって確信が持てるようにいま進めているので絶対最高のライブになると思ってます。

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